おわりみをむかえた
金曜日に病院にかかって以来、ずっと
『悪性リンパ腫 〇〇』
『慢性活動性EBウイルス感染症 ◯◯』
で検索をかけている。
頭の中がリンパ腫のことで一杯で、それに関する情報を集める行動をしないと落ち着かない。
悪性リンパ腫については、めちゃくちゃ簡単に言えば”血液のガン”らしいので、白血病と同じようなものという個人的な解釈をしている。
種類が豊富で、それぞれに効く薬も違うらしいので、まず種類を確定させることに時間がかかるみたいだ。詳しい分類や薬剤に関しては、国立がんセンターのHPに記載されているのでそちらを参照。
慢性活動性EBウイルス感染症は、本来ほとんどの人がEBウイルスの抗体を持っているが、その抗体がないために免疫低下などが起こる病気らしい。この病気が原因で悪性リンパ腫などが発生し、死に至ることもある。
難病指定されており、致死率が非常に高い。
この感染症自体はガンではないが、抗がん剤を使用し治療に当たるとか。抗がん剤が効かなければ骨髄移植しか方法はない。
私は高校1年の冬、現在と同じような場所にリンパ腫ができた。それと同時に、巨大な口内炎、倦怠感、発熱の症状も見られた。
市民病院で血液検査とCT撮影を行ったが、『EBウイルスの”疑い”』で診断は終わってしまった。
その診断からしばらくして、気づいたらリンパ腫は消えていた。
そして約6年後の現在、再発している。
6年前の診断で”EBウイルス”という単語を聞いたので、悪性リンパ腫だけでなく慢性活動性EBウイルス感染症の可能性もあるのではないかと個人的に思っている。
しかし、まだCTすら撮っていないし、ましてや医学の”い”の字すら分からないような素人が情報を集めたところでどうにかなる訳がない。
まずは次の金曜日に控えたCTを落ち着いて待つのみ。
…と理性を保とうとするが、そう簡単ではない。
常に『生と死』が頭から離れない。
まずどちらの選択をするか?自分みたいな人間が高額の治療費を払ってまで生きるより、そのお金で家族や周囲の人々が心穏やかに生活ができる方がよいのではないか?
仮に生きるとして、避けて通れないであろう抗がん剤治療でどうなるのか?髪が抜けたらどうする?妊孕性確保のために卵子凍結や卵巣凍結はする?結婚は?就職は?自立できる?
そして同時に、急に周りの人間が羨ましく思えてくる。
こちらが生きるか死ぬかということを必死で考える間、遊んだり好きなことしたり、不自由なく働いていたり、目標に向かって進み始めたり。
やってらんねぇな。
誰にも話せないからこうして文章にすることしかできない。
風呂で、部屋で、涙が止まらない。
不安だからまた検索をかける。
頭がいっぱいで何も手がつかない。
『神様は乗り越えられる試練しか与えない』
とか言うけど、そんなの嘘っぱちだと思う。
就活に失敗して春からの居場所がない。
心を病み目の前が真っ暗になる。
それらを乗り越えようと、再起をかけて準備をしていたところにこれだ。
何を考え、何のために行動を起こせばいいか、もう何も分からない。
【危機感】③診察の後のはなし
診察を終え、待合室で紹介状を書いてもらうのを待っていた。
その間に、1限目を一緒に受けている友達KからLINEがきた。板書の写真を送ってくれるらしい。
いつもKはこの授業には遅刻か欠席かどちらかなのに、今日に限ってはちゃんと授業の最初から出席していたようだ。
逆に私は毎回この授業の最初から出席しているが、今日は病院のために出席を諦めた。
Kには病院に行くために授業を休む旨を伝えてなかったのに…なんて奇跡なんだ…
一瞬だけその感慨に浸り、Kに病院に来ていること、来週CTを撮ることを話した。
Kは2ヶ月前からリンパ腫があることを知っているので、その上で心配してくれた。しかし「何事もないといいね」との言葉で締めてあっさりと次の話題に進んだ。
あまり必要以上に深掘りせず他の話題に移行してくれるのは、こちらとしても嬉しい。
必要以上に聞かれるとこちらももっと不安になり、病気のことしか考えられなくなってしまう。だから、Kのそういうところに救われた。
その日は夕方から某雑貨屋兼本屋のバイトの面接があった。
大学生になりたての頃からずっとそこで働くことに憧れを持っていた。
周りからも「そこで働いてそうだね」と言われるほど、その店のコンセプトに合う趣味を持っていると自負できる。
店長から、卒業後の進路とかシフトはどのくらい入れるか、とか質問を受けた。リンパ腫のことも含め、心療内科などの病院の掛け持ちをしていることは話すのをやめようと考えていた。
しかし、やはり心配が頭から離れず、全部正直に話した。
その話の後に何を話したかはあまり覚えていない。
とりあえず1週間以内に連絡が来なければ不採用ということは覚えている。
あぁ、終わったな、と思った。
リンパ腫さえなければ。
心の調子も良くなってきてるのに。
せっかく自分で勇気を持って決断したことを進めようとしているのに。
それしか頭になかった。
悔しかった。
【危機感】②今回の診察の話
名前を呼ばれ、診察室に入る。
私「まだ治らないんですけど…」
先生「ちょっと長いし心配だね」
触診を受け、ずっと腫れている部分(親玉みたいなの)が少し大きくなっていること、その周辺に小さい腫れ(子分?)が存在することが分かった。
触診がおわり、この症状の原因を知るために、今後の検査の流れの説明を受けた。
①触診、血液検査
②画像診断のためCT撮影
③1,2で悪性の可能性が疑われる場合、病変部の一部を切り取って検査をする生検
という流れらしい。
今回は①をここでしたから、②のCTを次の機会に撮ることになった。
2ヶ月前にかかった時とは違い、先生の真剣さが表情や声からなんとなく伝わってきた。
この時から、本格的にやばい病気なのでは?という考えが頭から離れなくなった。
先生の診察がおわり、隣の部屋で血液検査をした。色黒で顔の彫りが深いオバチャン看護師が待ち構えていた。
強そう……
と思っている間に、血液が抜き取られていた。
止血している間、オバチャンが手際よくCT撮影のアポ取りを提携病院と電話でしていた。
(かかっている病院は個人院で、血液検査などの簡単な検査ができる設備しかない。そのため、ここの病院から徒歩15分ほどの総合病院にCTなど大規模(?)な検査の業務委託をしているらしい。)
ここで驚いたのが、「今日とかできますか?」と尋ねていたこと。そんなに早くできるものなのか……と高校の頃に何週間も待ってCTを撮ったことを思い出しつつ、オバチャンを見ていた。
さすがに診察当日は予約が一杯だったたが、ちょうど1週間後の金曜日にCTを撮ることが決定した。
バイトがなければ来週の水曜日にでも撮ることができたようだ。単純にすごい。これが都会か。
さらに驚いたのが、CT撮影当日の流れである。
予約の1番早い時間である10時少し前に撮影病院で受付に行き、撮影自体は15〜20分程度で終わるとのこと。
そして、撮影が終わったらそのデータはすぐにこちらの先生の元に送られる。
撮影当日(金曜日)は13時までしかこちらの病院はやっていないけど、撮影してそのままこちらにこれば、血液検査やCTをもとに、その日のうちに先生の診断が受けることができる。
この話を、テキパキとしつつもしっかりとこちらを見て話してくれるオバチャンから聞いて、とても心強かった。
検査自体まで何週間も待ち、その診断までさらに何週間と待っていたら、その間に病気が進行するかもしれない。
だから、検査当日に結果を診てもらえる安心感といったらない。
その後、紹介状を貰い、学校に向かった。
【危機感】①サボりという名のアレ
昨日、授業をサボって朝一で病院に行った。
サボった、というよりも、教科書を朗読するだけの授業より危機に瀕した自分の健康を優先した、という方が正しいと思う。
病院の診療科目は血液内科。
2ヶ月前からずっと首の右側、耳から垂直に下った部分にリンパの腫れがある。その部分全体が広く腫れているのではなく、内側に人差し指の先くらいの大きさの腫瘍のようなものである。(先生によれば、これも”腫瘍”ではなく”腫れ”らしい。違いがよくわからないが。)
2ヶ月前にこの病院に初めてかかり、その時は「ウイルスが入り込んだんでしょう」「血液検査する?するとしても基本的な項目しかしないからね?」と言われた。
適当すぎないか?そんな簡単なことでいいのか?
そう思いつつ、処方された抗生物質を飲み1週間ほど過ごした。
リンパ腫も気持ち小さくなったような気がした。血液検査も問題なし。
これでほっとけば高校の時みたいにまた治るだろうと信じていた。
しかし
先週あたりから太い針で刺されるようなズキズキとした痛みがあり、診察2日前くらいに、さらに首の付け根にかけて新たに小さなリンパ腫が2,3個できていることに気付いた。
さらに、右の鎖骨付近もズキズキと痛む時がある。
薬飲んで治るなんてもんじゃなかった。
これはさすがにまずいだろうと考え、今回改めて診療にかかった訳である。
1回目に投稿すべき記事
昨日からここで文章を書き始めたわけだが、完全に『はじめの記事』を書き忘れていた。
というよりも、感じたものを新鮮なうちに文章化しようとして、そちらを優先させてしまった。
野菜や魚介類は新鮮さが重要であるように、感情にも新鮮さが重要であると私は考える。
自分が感じたことをすぐにアウトプットしないと、時間が経ってから言葉にするのでは”その時”感じたことは消えてしまう。
脳内に次々と湧き出てくる感情、考えを無駄にはしたくない。
だから、このブログはそれを書き留めておくメモ帳のような位置付けとしたい。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
私は現在某私大4回生である。
前日10月1日、全国では内定先が行われたようだが参加していない。
なぜなら、内定式に参加するための就職先が決まっていないからだ。
なんならまだ卒業認定までの単位が9足りない。残り半年でなんとか取り切ってやろうと必死になって、毎日午前6時に起きて7時台の電車に乗り、片道約2時間かけて大学の1限目に参加している。
就職活動も周りに流されるまま、夏まで一通りやってみたがだめだった。
学期内で取ることのできる最大数の授業を受けることと並行していたが、履修24単位中6単位落とした。
単位だけではない。心を病み『自分』も失い、それに伴って健康な身体も失った。
現在、心療内科、内科、接骨院を掛け持ちして通う生活を送っている。
こんな経験は人生で早々ないことだし、”新鮮なうち”に記録に残しておきたい。
上記で述べたような日々感じたことに加え、自分の就活の記録も同時に書いていくつもりだ。
これから自分がどう生きていきたいか、文章化することで明確化させたい所存である。
掃除と運動会
今日から始めてみる。
ブログなんて中学生の頃、流行りのアメブロを一生懸命にしていた時以来だ。
そして今日の話。
台風の影響で電車が動かず、大学も行くことができないのでおとなしく部屋掃除をしている。
そうしていると、私の母校でもある近隣の小学校から運動会の練習をしている声や音楽が聞こえてくる。
自室の窓から運動場が見えるほどの近所であるため、あの場所からの音は丸聞こえに近い。
高学年だろうか、組体操の練習を連想させる教員の指導が聞こえる。
教員による「チンタラ走らない」「5年生後ろの方ダラダラしてない、できてないよ」と、今の私が直接言われたらブチ切れるようなコメントがとめどなく出てきた。
聞いていてもいいものではないので、掃除機の音でかき消してやろうかとコンセントを挿そうとした時
音楽が流れてきた
嫌な指導コメントも止まったところだし、少し聞いてみることにする。
まずはN◯Kが早朝にやってる自然番組の冒頭で流れそうな、リコーダーがメロディの哀愁のある音楽が流れる。
私の小学生時代でもこんな感じだった、と少し懐かしさに浸る。
しかし
一瞬で哀愁漂う音楽はフェードアウトし、突如現れたのが
そしてさらに教員による「いいね~青空に映えてるよ~~」という指導コメント
思わず吹き出してしまった。
流行りの曲をすぐ使うという安易な発想がバレバレな上、それにチープなコメントを合わせてくるとは
その後も『♪ 全て超えて届け~』のメロディに合わせて『ポーズ~~』と指導している。
滑稽にも程がある。
『アイデア』が終わり、さらに追い討ちをかけるように流れてきたのは
なんだこれは
部屋掃除の手が止まった。
そしてなぜか今、小学校から聞こえてくるもの全てに集中力を注ぎ込んでいる。
何回も曲を止めながら教員による指導が入っている。
BPM≒190のハイテンポな曲に合わせて組体操を行うというのはなかなかハードである。
しっかり聞いてみると、約4拍でポーズをキープ、4拍程度で組の解体+次の型への移行をしているようだ。
これは大人でもなかなか難しいのではないか?
例えば、逆立ち→複数人による扇
をするにしても、
逆立ちの足を降ろす→ふらつかないように隣の人と肩を組む→倒れないようにバランスをとり型を完成させる
という動作が必要だろう。
少し前に全国的に問題になった、生命や身体に影響を及ぼすような組体操はおそらくしていないだろうが…
常ならぬ身体動作を俊敏にやれとか、入場がチンタラしているからやり直しとか、何を目指しているのだろうか。
とか考えていたら、米津玄師&daokoの『打ち上げ花火』が流れてきた。
さらに演技のクライマックスなのだろうか、安室奈美恵の曲(詳しくないので分からない)が流れてくる。
何を目指してこの演技を、動作をするのかよく分からず、とりあえず流行りの曲を詰め込んで、何か分からないがとにかく教員を怒らせないように指導に従う児童が哀れになってくる。
かつて自分もああいう風だったのかと思うともっと哀れになってくる。
そして、そのような指導に使われる流行りの楽曲も哀れに思えてくる。
そうこうしているうちに小学校が給食の時間になった。
そろそろ掃除を再開することにする。